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昔の写真が教えてくれる事

いやぁ~~~~、今日も暑かったぁ~~! 梅雨明けどころか、梅雨はどこへ行ったのか?ってくらい、真夏の陽気でした。 本日の当地の最高気温は、33.2℃。 空には立派な入道雲が出ていましたヨ。(^^;)

子供達は今日が一学期の終業式。 いよいよ待望の夏休みです。 平年でしたら、いや、昔は夏休みが始まる頃には梅雨明けだったんですけどね… やはりこのところ、気候サイクルがおかしくなってますね。

さて、この一週間ほど、空き時間を見つけては、亡き母の写真を集めて、パソコンで再生処理を行っています。 色あせたモノクロ写真の再生は、かなり楽に出来るものの、カラー写真は結構難しいものです。 それでもパソコンが一般的になっていなかった10年前なら、到底素人が手出しできなかった作業が、恐ろしく楽に行えるようになりました。

懐かしい写真もあれば、無芸が知らなかった写真まで、結構な枚数が出てきましたヨ。 後日写真を選り分けて、デジラボでアルバムを作製しようと企んでおります。(^^) 両親の歴史は、お店の歴史そのものです。 無芸がこの世に生まれた年に、酒類小売免許を取得しているからです。 私の年齢=創業年数という訳です。 それ故に、無芸は家業に特別な思いが染みこんでいるのです。

1964年当時

この写真は1964年当時のものです。 母に抱かれているのは無芸大食妹です。 この当時は、まだ借家での事業でした。 あまり沢山の記憶はありませんでしたが、写真の再生作業をしていると、様々な当時の事情が見えてきました。

創業当時は、なりふり構わずありとあらゆる商材を取り扱っていたとは聞いておりましたが、その様子が端々に見受けられます。 写真の左側に写っているのは「炭俵」ですね。 灯油の取次販売をしていたのは覚えておりましたが、それよりも遙か昔に炭まで商っていたんですね。(^^;)

写真の右端には「花鰹」のダンボール箱。 店内にはアイスクリームの冷凍庫。 缶詰が所狭しと並べられた棚。 右上に見えるお店の看板には、開業当時の住所と屋号。 「やまいわ」という屋号は、当家の本家筋が代々受け継ぐもので、今では分家筋も含めて、その屋号を声高に主張する家はなくなりました。

無芸はこの「やまいわ」の屋号が、今更ながらとても愛おしく思えて… 今では同族で誰一人主張しなくなってしまった屋号。 とても寂しいものですね。 20年ほど前、本家の菩提寺に残る墓石に刻まれた元号を調べてみたら、250年以上前のものが確認できました。 自分のルーツを垣間見た気がしました。

初代は何振りかまわず、ひたすら事業に打ち込むものとは良く言われますが、この写真が無言で伝えてくる迫力は何なのだろう? 時代が変わり、商いのありようが変貌しても、変わらぬ何かを見せつけられた気がしました。 やはり両親は偉大です。  

コメント

貴重なお写真拝見させて頂きました。
「なつかしいな~」我々の心の深いところに
埋もれているお店の原風景ですね。
昭和30年代でしょうか 
今のような贅沢ができる時代ではなかったけれど
力強さがありましたね。
無芸さんにとってのお母様の写真は、過ぎ去った
愛しい時間や会いたい人たちを含んでいるから
一枚一枚が特別なものですね。

私の母が亡くなったときには 我々兄弟皆の
賞状や成績表が大事に保管されていました。
証拠隠滅をはかろうとしましたが
今は女房の手中にあるらしい・・・ トホホ・・・。
2008/ 07/ 18( 金) 12: 26: 49| URL| 華ちゃんパパ# -[ 編集 ]
 
店舗前の「炭俵」が懐かしいですねえ、スクーターの「小松」の下げ袋も時代を感じます

本宮町(現本宮市)出身の小松氏が郡山市に出て醤油で有名になっていたころですね
2008/ 07/ 18( 金) 18: 47: 57| URL| 玉井人# w.UaXOXU[ 編集 ]
 
華ちゃんパパさん
パパさんにとっても、どこかしら懐かしさを覚える心象風景にも似た写真でしたか? 昭和30年代最後期の写真なのですが、まるで「三丁目の夕日」のようです。(^^;)

丁度、高度経済成長期を迎えて、我々庶民の生活が、大きく変貌し始めた頃ですね。(^^) きっと仕事は大変だった事でしょうけど、働いた分だけ豊かさが享受出来た時代かも知れません。

パパさんの成績表が、奥様の手許に…(^^;) ちょっと恐いような…
2008/ 07/ 18( 金) 20: 00: 57| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
玉井人さん
通い袋、気付かれましたか。(^^) 当時はキャンパス地で出来ていました。 その他にも、清酒メーカーのものや、ビールメーカーのもの。 今現存していたら、ちょっとしたコレクションになっていたかも知れません。

コマツ醤油さんは、今でも大切なお取引先です。(^^) 昔から学校給食にも供給なさっていたので、当地では馴染み深い味わいです。
2008/ 07/ 18( 金) 20: 08: 11| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
胸がキュゥゥっとします。
ちょっとタイムマシーンに乗せていただきましたよ^^
たいへん貴重な画像公開ありがとうございます。

2008/ 07/ 18( 金) 22: 03: 43| URL| ハローワーカー# -[ 編集 ]
 
ホント、まさに「三丁目の夕日」という感じですね。
この時代にサラリーマンをしたかったです(笑
「スーダラ節」のような・・・

にしても、このスクーター気になります(笑
どこのメーカーですかね?
2008/ 07/ 19( 土) 08: 57: 16| URL| 小鉄# -[ 編集 ]
 
うむ、なつかしい写真出てきましたね^^。
この頃、無芸さんはちょうど鼻たれ小僧だったころでしょうね^^^^。この昭和の時代、やはり我々にとっては、ルーツですね、物はなくても、なんか夢がありましたもんね、お母さんも子育てと、家業と寝る暇もなく働いたことでしょう。そして、いまの無芸さんがいらっしゃる。写真ってやはり重みがありますね
2008/ 07/ 19( 土) 10: 49: 00| URL| ララオ# -[ 編集 ]
 
無芸さんのお家は、ずっと前からお店をやられていたのですね。
貴重なお写真をありがとうございます。
今は映像が多くなったけど、やっぱり写真よいですね。
私も「やまいわ」の屋号よいな~と思いました。
いつまでも大切に守っていって欲しいです。
2008/ 07/ 19( 土) 16: 29: 48| URL| オードリー# -[ 編集 ]
 
ハローワーカーさん
ちょっと懐かしい感じが伝わりましたか?(^^) 我が家の子供達は、興味津々でしたヨ。
2008/ 07/ 19( 土) 20: 18: 20| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
小鉄さん
確かに、この時代のサラリーマン像って、どこかしらヌケが良いような…(^^;) 裕福とは言えないまでも、変な軋轢に苛まれてはいなかったのかも知れませんね。

このスクーターは、富士重工のラビット・スクーターですね。 私もこのスクーターは良く覚えていなくて、調べていたところです。 ボディ中央部に、強制空冷用のダクトがあり、そこにラビットのエンブレムが確認できます。

ただし、この形式はかなりレアなものだったと思われます。 方々を調査していますが、まずお目に掛かった事がありません。

当時は「働くスクーター」として、特定の業種向けに造られていたものかも知れません。 従って、使い潰しとなってしまい、現存するものはほとんど無いのでは?

後年、一般的なカタチをした125ccのラビットスクーターが当家で活躍しておりました。 鉄の塊で重くてね…(^^;) 小学生の頃だったと思いますが、ステップの上に載って遊んでいるウチに、ひっくりがえって痛い目に遭った記憶があります。(爆)
2008/ 07/ 19( 土) 20: 43: 30| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
ララオ0181様
ララオさぁ~~ん(^^;) 私、小さい頃でも、鼻を垂らしたままの坊主ではありませんでしたよぉ~~(笑) 今思えば、忙しさの中でも、母はちゃんと面倒を見てくれていました。(爆)

ともあれ、両親はよく働いていました。 大晦日でも年越しで仕事に打ち込んでいましたもん。 午前0時だと言うのに、空瓶のガチャガチャという音が聞こえていました。

ホントにこの時代の皆様は、良く働いたと思います。 あの当時、「週休二日」の時代を、誰が予想できたでしょうか?
2008/ 07/ 19( 土) 20: 53: 52| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
オードリーさん
まだまだ写真は出てきそうですが、じっくりと腰を据えて整理していこうと思います。

「屋号復活」なんてのも、イイかなぁ~と思う今日この頃です。(笑)
2008/ 07/ 19( 土) 20: 56: 15| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
ラビットですか、名前は知っていますが、記憶がありません。1964年自分は5歳でした。幼稚園なんか行きたくないと、両親を困らせていた時です。
アメリカのホームドラマを見て、何でこんなでかい家に住みあんなでかい牛乳瓶をあんなにでかい冷蔵庫入に入れて在るのかなと、不思議に思い、父に質問したら、アメリカは金持ち日本は貧乏と言われました。15年位その感覚を維持しました。(爆)
でも結局国力の差・力の差は変わってないのかも知れません。
2008/ 07/ 19( 土) 23: 12: 12| URL| フォワード# -[ 編集 ]
 
懐かしい昭和の匂いプンプンのお写真ですね~。
お母様の立ち姿も美しい・・・・・。


64年・・・。まだこの世に生まれてなかったベニーですが、
お写真のような雰囲気の時代に育ったことは確かです。笑

鼻は垂れてませんでしたが、扁桃腺はよく腫らしてました。
とっても小さかった頃、大町とかいう住所に住んでいたようです。
2008/ 07/ 20( 日) 08: 46: 53| URL| ベニー# npqL4zHc[ 編集 ]
 
フォワードさん
ラビットスクーターは、まだ四輪自動車が一般大衆から遠い存在だった頃、9万円くらいで買えたらしいです。 現在のスバルの礎を築いた製品だったんですね。 月給三ヶ月分相当ですから、今で言えば400ccクラスのスクーター相当の貨幣価値でしょうか? やっぱり、決して安価ではありませんね。(笑)

そう言えばその頃のテレビドラマは、「奥様は魔女」「わんぱくフリッパー」とか、アメリカから輸入されたものも多かったですね。

物質的な豊かさは、日本とは大きく違っていたでしょう。 私は何より、家の中で靴を履いたままの生活様式が驚きでした。(^^;)
2008/ 07/ 20( 日) 15: 13: 10| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 
ベニーさん
あれあれ…(^^;) もしかすると、相当ご近所に住まわれていたのですね。 驚きました! こうしてBlogを通じて交流させて頂いているのも、奇蹟のようなお話しですね。(^^)

そう言えば、当時は良く扁桃腺を腫らす子供が多かったですね。 幸いにしてウチは家系的に(?)大丈夫だったようです。
2008/ 07/ 20( 日) 15: 16: 40| URL| 無芸大食# KVUpfCRI[ 編集 ]
 

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