三年目の3.11を迎え
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「3.11 東日本大震災」の発生から三年目にあたり、被災なさられた皆様方への御見舞いと、お亡くなりになったお仏様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 もう三年経ったのに、まだまだその傷跡は深く悲しいものばかりです。
とりわけ福島県は、原発事故という大きな十字架を背負わされてしまいました。
帰れる家はあるのに帰ることが出来ない方々。
慣れ親しんだ故郷で再出発をしたくても、立ち戻る事さえ出来ない方々。
故郷から遠く離れて暮らす決意をせざるを得なくなった方々。
誰一人望んでいないのに、家族を引き裂かれてしまった方々。
本当は帰りたいのに、不安に押し潰されそうな日々を送っておられる方々。
なんでそうなった? なんでいつまでも変わらねぇ?
こうして今も変わらず生まれ育った街で生業を続けながら、家族と共にここに暮らすボク達も、思いを寄せるほどに心が痛んで仕方ありません。

一朝一夕に夢のようにあの悪夢が無かった事には出来ません。 まだ何も始まっていないとも揶揄されるほど、面倒なシロモノを背負い込まされているのは、共にここに住まう人達はみんな、納得なんてしないけれど、現実として向き合わされています。
せめてしっかりとした骨子の基に、政権が変わろうとも一向にブレる事のない歩みってものを示して欲しいと思います。 この出来事は僅か200kmほど離れてしまった方々には、既に現実味が薄れている事でしょうし、車で自走したら1日で到達出来る500kmも離れた処では、既に過去のことで興味さえ無くなっている方々が大半でしょう。 これはそんな方々を責めることは出来ません。 でもまだまだ現実と向き合いながら、未来を信じてここに住む人達が居る事は忘れて欲しくない無いですね。

とめども無い思いだけで書き綴ってしまいました。 やはり一番良いのは、実際に足を運んで自分の目で見て、自分の感性で感じ取って頂く事だと思います。 この難局を誰かだけに負い被せてヨシとするようでは、あまりにも悲しすぎるのです。 少しでも多くの方々が、当県を訪問して下さりますようにと願いを掛けながら9年目のBlogを書き綴って参りたいと思います。
とりわけ福島県は、原発事故という大きな十字架を背負わされてしまいました。
帰れる家はあるのに帰ることが出来ない方々。
慣れ親しんだ故郷で再出発をしたくても、立ち戻る事さえ出来ない方々。
故郷から遠く離れて暮らす決意をせざるを得なくなった方々。
誰一人望んでいないのに、家族を引き裂かれてしまった方々。
本当は帰りたいのに、不安に押し潰されそうな日々を送っておられる方々。
なんでそうなった? なんでいつまでも変わらねぇ?
こうして今も変わらず生まれ育った街で生業を続けながら、家族と共にここに暮らすボク達も、思いを寄せるほどに心が痛んで仕方ありません。

一朝一夕に夢のようにあの悪夢が無かった事には出来ません。 まだ何も始まっていないとも揶揄されるほど、面倒なシロモノを背負い込まされているのは、共にここに住まう人達はみんな、納得なんてしないけれど、現実として向き合わされています。
せめてしっかりとした骨子の基に、政権が変わろうとも一向にブレる事のない歩みってものを示して欲しいと思います。 この出来事は僅か200kmほど離れてしまった方々には、既に現実味が薄れている事でしょうし、車で自走したら1日で到達出来る500kmも離れた処では、既に過去のことで興味さえ無くなっている方々が大半でしょう。 これはそんな方々を責めることは出来ません。 でもまだまだ現実と向き合いながら、未来を信じてここに住む人達が居る事は忘れて欲しくない無いですね。

とめども無い思いだけで書き綴ってしまいました。 やはり一番良いのは、実際に足を運んで自分の目で見て、自分の感性で感じ取って頂く事だと思います。 この難局を誰かだけに負い被せてヨシとするようでは、あまりにも悲しすぎるのです。 少しでも多くの方々が、当県を訪問して下さりますようにと願いを掛けながら9年目のBlogを書き綴って参りたいと思います。
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