震災から9日
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最近は余震も徐々に少なくなりつつありますが、やはりこの余震というのも気持ちの悪いものです。 フツーに座っている時にも、突然クンッ!と揺れが伝わって来ますと、「またか!」と毒突きたくなります。 およその震度も大体勘が当たりますわ。
無芸の仕事場も徐々に整理がついてきましたが、もう少しかかるかなぁ~ 街中の飲食街は、営業を再開出来たお店は、精々10%も無いって感じです。 鉄路も未だに復旧のメドが立たず、市内の学校も未だ休校で、駅前には人影も少ないです。
鉄路の復旧が立たないと、路線バスの乗車率も高まらないみたいです。 ここに来て駅というのは、交通の要所であり公共交通機関の交差点であることを再認識させられます。 せめて在来線の復旧のメドが立つと、人やものの動きが活発になるのですがね。

ここは市内富久山町の国道4号線沿いにある「善宝池 (ぜんぽういけ)」です。 爆盛りで知られる「パーラー&軽食 ひまわり」さんもこの湖畔路にあります。
たまたま通りがかりだったのですが、湖畔路の護岸が大きな被害を受けておりまして、路肩の歩道は大きく陥没しております。 車道も亀裂やうねりが出来ていて、処によっては陥没している箇所もあって、通行には注意が必要です。
この池に宿営している白鳥達が私の姿に気付いて一斉に寄ってきました。 多分エサやりをしている方がいるのでしょうね。 残念ながら私には分け与えてあげられる手持ちは何もありませんでしたが・・・(^▽^;)

当地への燃料流通も少しずつ始まったようで、今日は市内数箇所のガソリンスタンドで極限られた量ながらも販売がありました。 前日からネットでは色んな情報が飛び交っていたのですが、その真偽の程は不明でした。 実際の処、どこのガソリンスタンドで販売が行われるか分かりませんでしたので、私はやみくもに求めようとは思いませんでした。 すると、無芸の仕事場の前にいつの間にか車列が出来上がっていました( ̄□ ̄;)

いったいどこのガソリンスタンドへの車列?! よくよく考えてみたら、どうやらその車列は1kmほど離れた場所でした(^◇^ ;) 無芸の仕事場の辺りまで並んでいた方は、首尾良く給油出来たのでしょうか? 多分5時間以上待たれたのでは無いかと思います。
夕刻、無芸の仕事場においでになったお客様によると、
「5時間並んで6L・1,000円分しか分けて貰えなかった・・・」との事でした。 私は灯油が欲しい・・・
さて、今日もちょっと良い話を一題。 現在、郡山市のビッグパレットには、富岡町と川内村の皆さんが役場機能ごと避難しておられます。 その川内村のご婦人方のエピソードです。 今回お寄せ頂いたエピソードは、川内村の婦人会会長さんのご子息様で、大熊町で歯科医を開業されているN先生からのメールです。
富岡町の皆様へ出来る事を模索して、力を尽くされた川内村の皆様ですが、今ではご自身達が被災移住を余儀なくされております。 N先生とは随分永いお付き合いを頂いておりますが、一時連絡が取れずに無芸なりに大変心配しておりましたら、まさかこんな活動に身を置いておられたとは・・・
N先生のご両親は川内村のKey Manであり、地域のリーダーとして人望の厚い方々です。 以前、喜多方市で行われた「あいづのかおり」の蕎麦博に出展なさった際に、私もブースのお手伝い体験をさせて頂きました。 富岡町・川内村ともに住民の皆様が安心して地元に戻られる日は、残念ながらそう簡単なことでは無いかも知れません。
ビッグパレットはご存知の通り、そもそも宿泊施設でも避難施設でもありません。 この生活が長引きますと、きっと予期せぬ事が沢山出てくるのでは無いかと心配です。

今日の街中ニャンコ。 今日は少し温かな日差しに恵まれ、日向で寛いでおりました。
無芸の仕事場も徐々に整理がついてきましたが、もう少しかかるかなぁ~ 街中の飲食街は、営業を再開出来たお店は、精々10%も無いって感じです。 鉄路も未だに復旧のメドが立たず、市内の学校も未だ休校で、駅前には人影も少ないです。
鉄路の復旧が立たないと、路線バスの乗車率も高まらないみたいです。 ここに来て駅というのは、交通の要所であり公共交通機関の交差点であることを再認識させられます。 せめて在来線の復旧のメドが立つと、人やものの動きが活発になるのですがね。

ここは市内富久山町の国道4号線沿いにある「善宝池 (ぜんぽういけ)」です。 爆盛りで知られる「パーラー&軽食 ひまわり」さんもこの湖畔路にあります。
たまたま通りがかりだったのですが、湖畔路の護岸が大きな被害を受けておりまして、路肩の歩道は大きく陥没しております。 車道も亀裂やうねりが出来ていて、処によっては陥没している箇所もあって、通行には注意が必要です。
この池に宿営している白鳥達が私の姿に気付いて一斉に寄ってきました。 多分エサやりをしている方がいるのでしょうね。 残念ながら私には分け与えてあげられる手持ちは何もありませんでしたが・・・(^▽^;)

当地への燃料流通も少しずつ始まったようで、今日は市内数箇所のガソリンスタンドで極限られた量ながらも販売がありました。 前日からネットでは色んな情報が飛び交っていたのですが、その真偽の程は不明でした。 実際の処、どこのガソリンスタンドで販売が行われるか分かりませんでしたので、私はやみくもに求めようとは思いませんでした。 すると、無芸の仕事場の前にいつの間にか車列が出来上がっていました( ̄□ ̄;)

いったいどこのガソリンスタンドへの車列?! よくよく考えてみたら、どうやらその車列は1kmほど離れた場所でした(^◇^ ;) 無芸の仕事場の辺りまで並んでいた方は、首尾良く給油出来たのでしょうか? 多分5時間以上待たれたのでは無いかと思います。
夕刻、無芸の仕事場においでになったお客様によると、
「5時間並んで6L・1,000円分しか分けて貰えなかった・・・」との事でした。 私は灯油が欲しい・・・
さて、今日もちょっと良い話を一題。 現在、郡山市のビッグパレットには、富岡町と川内村の皆さんが役場機能ごと避難しておられます。 その川内村のご婦人方のエピソードです。 今回お寄せ頂いたエピソードは、川内村の婦人会会長さんのご子息様で、大熊町で歯科医を開業されているN先生からのメールです。
被災で困っている、隣町・富岡町に皆様を、おいしい蕎麦で元気づけたい! 私の母がたまたま真意に付き合っている富岡町の町長に申し出たら、涙を流して「お願いする」と言われました。
と言う事でそこからが大変です、まず母が村中から野菜をかき集め、数人の村民と富岡町民で、石臼挽きの地粉で作られた川内村産の乾蕎麦を茹で、汁を野菜のけんちん汁にして、食べて頂きました。
私も一緒に現場でお手伝いを致しました。 いろんな反応がありましたが、ほとんどの方々に大変喜ばれ、がんばった甲斐がありました。 都合3日間で、約5,000人の富岡町民の皆様に召し上がって頂きました。
「一生忘れません」と涙を流してくれた人。 私も涙が出そうになりました。
実は富岡町民と川内村村民がビックパレットに避難する直前まで蕎麦を出していたので、村の最後の避難者になったかもしれません(笑)
前述の通り、今、郡山市のビッグパレットには、我が川内村の村民と富岡町の町民の皆様が身を寄せております。 もし心が動かれましたようなら郡山の方はビックパレットに行ってほんの少しの善意をお願いします。
私の職場もいつ再開できるか、もしくは出来ないか判りません。 また知り合いでなくなった方もいます。 もう一度言いますが、是非皆さんのすこしの善意をお願いします。
富岡町の皆様へ出来る事を模索して、力を尽くされた川内村の皆様ですが、今ではご自身達が被災移住を余儀なくされております。 N先生とは随分永いお付き合いを頂いておりますが、一時連絡が取れずに無芸なりに大変心配しておりましたら、まさかこんな活動に身を置いておられたとは・・・
N先生のご両親は川内村のKey Manであり、地域のリーダーとして人望の厚い方々です。 以前、喜多方市で行われた「あいづのかおり」の蕎麦博に出展なさった際に、私もブースのお手伝い体験をさせて頂きました。 富岡町・川内村ともに住民の皆様が安心して地元に戻られる日は、残念ながらそう簡単なことでは無いかも知れません。
ビッグパレットはご存知の通り、そもそも宿泊施設でも避難施設でもありません。 この生活が長引きますと、きっと予期せぬ事が沢山出てくるのでは無いかと心配です。

今日の街中ニャンコ。 今日は少し温かな日差しに恵まれ、日向で寛いでおりました。
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