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辰泉酒造 ~福島県会津若松市上町~

さて時系列を巻き戻して、お仲間達との新年会2日目の行程です。 この日もチャーターしたバスでの移動ですので、とてもお気軽です(o ̄∇ ̄)/ ドライバーさんも、会津の観光に精通している方が当たって下さったので、何かと心強かったツアコン無芸です♪

この日の朝の冷え込みは格別だったらしく、会津若松市に到着した頃には、待機中の水分が陽の光キラキラと光る、まるでダイヤモンドダスト現象に類する光景が見られました。 首都圏から参加してくれた仲間達にとっては、初めて目にする光景でしたので、バスの中はちょっとしたお祭り騒ぎでしたww

さて、この日最初の訪問先は「辰泉酒造」さんです(*'-') メインブランドは「辰泉」ですが、稀少な酒米で造られる「京の華」ブランドでも知られています。

辰泉酒造

年産約200石という、会津若松でも最小規模クラスの酒蔵ですが、全国新酒鑑評会では6年連続で全国金賞をもぎ取りまして、今年は7連覇が掛かっていますd(´▽`)b 酒造期も盛りの上に、少数精鋭の酒造り作業ですので、本来なら訪問はNGかと思われますが、代表社員・新城壯一さんとのご縁の永さもあって、快く受け入れて頂きました。

辰泉酒造 新城壯一さん

彼が壯一さんです。 お父さんから家督を引き継ぎ、今年からは自ら杜氏も務める“蔵元杜氏”としてのスタートの年です。 酒蔵の後継者さんと言えば、その多くは醸造学科卒ですが、彼はちょっと変わり種でして、工学系の有名私大卒業後、これまた有名企業にてデジタルテレビ放送の基礎研究をしていたそうです/( ̄▽ ̄;;)\ 言わば“地デジ放送”の基礎を官民一体で進めていた頃の研究員ですね。

そんな彼は、家業としての酒造業を継ぐ事は最初から含み済みだったらしく、数年後には退職して帰郷。 家業を継ぐための修行を始めます。 家業に就いてどれだけ経ったのでしょうか? 多分十年目くらいでしょうかね? そもそも学者肌の壯一さんが、最終的には自分で酒造りをする事は、自然な成り行きだったのかも知れません。

辰泉酒造

蔵内にはハイテク機器に類するお道具はほとんど見あたりません(^^;) 良く言えば“古式製法”ってヤツですが、そもそも機械の導入ってのは、人手で行っていた仕事を機械が肩代わりして、より安楽に安定した結果を導き出すために行います。 って事は、人手さえ惜しまなければ、生み出される製品に大きな差異は見いだせないかも知れません。

辰泉酒造 仕込蔵

ただ一つ言えるのは、そこに働く人達にとっては、真冬の厳寒期に水仕事も多いし、力仕事も多い。 ちょっと過酷な労働環境でしょう。 なかなか若者が醸造業に就業したがらない一因がそこにあります。 でもその仕事場に大志を持って望む人達も居る事が嬉しいですね(^^) この一手間が品質の向上に繋がっていくという手応えは、やはり現場で汗を流しておられる方々だけにしか感じられないのかも知れません。

辰泉酒造 酒槽

そんな中象徴的なのが、清酒の醸造プロセスの最終章となるお酒を搾る作業です。 量産酒の多くは通称・ヤブタと呼ばれる機械でお酒を搾ります。 醸造機械としては結構高価なシロモノですので、小規模の酒蔵さんでは導入に勇気が要ります。

でも古典的な「酒槽(さかふね)と呼ばれる道具でお酒を搾る手段もあります。 この酒槽って道具を持っていない蔵元は、全量ヤブタ搾りに転換した蔵を除いて、まずありません。 通称「槽搾り」とか「手搾り」と呼ばれるのですが、ヤブタ式のように一気に強い圧力で搾れないせいなのか、時間は要しますけど品の良いお味になる事が多いんです(^^) それも理由の一つで、敢えて手搾りにこだわり続けている酒蔵も珍しくありません。

辰泉酒造

「辰泉酒造」では、製品のラベル貼りまで一本ずつ手貼りでした(^▽^;) きっとご近所にお住まいのパートさんでしょうか。 丁寧かつ手早く作業しておられました。 田舎の製造業は、大なり小なり、こういった地元との深い連携の中で成り立っているのだなぁ~と考えさせられます。 震災にも耐えた、トレードマークのレンガ煙突。 これからもこの蔵元の息吹を示し続けて行く事でしょう。

ご丁寧に案内頂いた新城壯一さんに深く感謝致しつつ、お蔵の前で記念撮影をしようとしたら、凍結していた路面で四国からの仲間がタコ踊りしていました(大笑) そりゃあ凍った路面は珍しかろう(^^;)