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1,000km離れても、60年間時を経ても…

昨夜は中秋の名月。 丁度、日暮れの頃には、見事な満月が東の空に昇って参りました。 暮れなずむ夕空に、ポッカリと浮かぶように昇る満月。 なかなか良さ気な雰囲気でしたよ(^^)

明朝の撮影行脚に備えて、ちょっと早めに仕事場を閉めようかと思っていた矢先に、一本の電話が入りました。 ちょっと聞き取りにくい言葉でしたが、どうやらウチのじいさんの知り合いらしい。 生憎、じいさんはとっくに帰宅しているもで、ご用件を伺ってみると…

遠く四国は松山市にお住まいの方でした。 じいさんの高校時代のご友人かと思ったらさにあらず。 実は戦時中に、じいさんの実家に度々お出でになっていたと言う、旧日本海軍航空隊の飛行士さんでした(^^;)

そう言えば随分昔に聞いたことがありました。 戦時中に若い飛行士の皆様を、自宅に招いてはお持て成しをしていたという事。 そしてその時の飛行士さんが、時たま昔を懐かしんでお電話を下さっていたと言う事を。

ここから先の話は、まるで当家の先祖が、いかにも善人だったかのように聞こえる話かも知れませんが、昨夜、お伺いしたお話をそのまま書き綴ります。

その方は高橋様と名乗っておられました。 高橋様は前述の通り、戦時中は旧日本海軍で飛行士をなさっていました。 当時は19歳だったと言います。 遠く故郷を離れ、飛行士としての訓練を受ける為に、当地にあった(現・日大工学部のあたり)日本海軍・第二郡山航空隊におられました。 所謂「予科練」というやつです。

予科練の飛行士さん達は、普段は兵舎に寝泊まりしておりましたが、たまに民泊もしていたそうです。 その際に、じいさんの実家でも、民泊を受け入れていたらしいです。 頃は大戦末期。 当地の予科練は、所謂特攻隊飛行士の養成所と化しておりました。 お国の為に命を捧げる覚悟の若い飛行士さん達を、誰一人粗末にする者はいなかった事でしょう。

多分に、じいさんの実家でも出来る限りのお持て成しをさせて頂いていたのでしょう。 高橋様を始めとした、若き飛行士の皆様は、

「まるで実の子と変わらぬように、大変暖かく、そして親身に接して頂いた。」

と申されておりました。 それが60年後の今以て、決して忘れがたく、感謝の念に堪えないと言います。 その頃のじいさんは、まだ年端もいかぬ紅顔の美少年ww 今でも、少年時代のじいさんの事を気に掛けて下さっていました。

まさかその倅たる無芸と話をする事になろうとは予想もしていなかったようで、大変お喜びになって、色々な思いで話を聞かせてくださりました(^^) 私だって、ご先祖様の人徳で、大先輩のお話をお聞かせ頂けた訳ですから、時を忘れるほど沢山お伺いしたかったくらいです。

「赤トンボと呼ばれた練習機で、夜間飛行をした時の月の美しさが忘れられなくてね。 今宵の満月を思ったら、急に懐かしくなりお電話致しました。」

中秋の名月

1,000km離れても、同じ満月を見上げながら、そんな話が伺えた事、とても嬉しゅうございました(^^) 高橋様は既に80代。 まだまだご壮健でおられますように。